田村淳、「長い反抗期」を経て

お笑いコンビロンドンブーツ1号2号の田村淳さん(47)が昨年亡くなった田村さんの母久仁子さんのことについて語りました。

淳さんは母が病気になるまでは、母の言うことを聞かず、それどころかやるなと言われたことをしていたといいます。

しかし、母が病気になってからは、母の話すことを受け止めるようになり、優しく接するようになったといいます。

それを感じた淳さんの母は「長い反抗期が終わった」と話していたそうです。

しかし、そんな“反抗期”において唯一母の言うことを守ったことがあるそうです。

淳さんと母が口論になったとき、淳さんが「そんなに口うるさく言うんだったら、死んだらいいのに」と母に言った際、母は激昂して包丁を持ち出してきて、淳さんの目の前の畳の床に突き刺し、「殺せ!

」と言われたそうです。

その迫力に圧倒された淳さんはそれ以降一切誰に対しても「死ね」という言葉を使わなくなったといいます。

2019年には慶應大学大学院メディアデザイン研究科に入学し、「死」に関する研究をしたという淳さん。

それに至るには母の影響が大きかったとしています。

看護師だったという田村さんの母は若い頃から「延命治療はしないでね」と田村さんに伝えていたそうです。

そして死ぬ間際の母の振る舞いや思いを伝える姿勢に感動した淳さんは大学院で遺書や遺言について学び、遺書を動画にするといったサービス「ITAKOTO」を立ち上げるなどして、母の意思を受け継いだ形となりました。

そんな淳さんの母への思いを綴った書籍『母ちゃんのフラフープ』が今月31日に発売予定です。

 

 

 

 

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