日本の童謡歌手の先駆けとして世間に知られる平井英子(ひらい
・ひでこ、本名・鈴木英=すずき・ひで)さん。
東京都内の老人ホームに入居されていましたが、2021年2月21日17時30分、老衰のため104歳で死去されました。
平井英子さんは大正6年に東京で生まれ、童謡の名曲を多く残した作曲家
・中山晋平に才能を見いだされて、10歳のころレコード会社「日本ビクター」の専属歌手第1号としてデビューしました。
「アメフリ」や「てるてる坊主」「兎のダンス」「證城寺の狸囃子」など、歌い継がれている名曲をレコードに録音し、放送開始まもないラジオのなかでも愛らしい歌声が広く親しまれました。
童謡を歌ったほか、二村定一らと共演した童謡劇「茶目子の一日」も大ヒット。
同時に専属となった作家や歌手には、中山や西条八十、藤原義江らがおります。
1934年(昭和9年)に変声期のため童謡歌手としての活動を終え、武蔵野音楽学校声楽科に入学されています。
童謡歌手を引退後も流行歌や外国曲のカバーなどを歌って活動を続けていましたが、日中戦争が始まると、銃後の妻の心情などを歌う戦時歌謡も歌いました。
当時スターだった喜劇俳優の岸井明とのデュエットによる「煙草屋の娘」も大ヒット。
しかし20代半ばの頃、ビクターに所属していた専属の作曲家
・鈴木静一と結婚し、引退しました。
日本のレコード史を彩る伝説的な人物として語られ、2014年に代表曲を収めたCDが発売されています。
伝説の女性として104歳の大往生でした。
ご冥福をお祈りいたします。