1973年に、「個人授業」が大ヒットし一躍トップスターとなったフィンガー5。
その中でメインボーカルを務めた四男の晃が当時の苦労について語る。
当時はメンバーの息の合ったダンス、晃のトレードマークの大きなサングラスとそのハイトーンボイスで世間の話題を集め、数々のヒット曲を残した。
そんなフィンガー5だが、ルーツは沖縄にある。
もともとは父親が沖縄でバーを経営しており、兄弟の上3人がバーで演奏をしていたところ「東京に行ったら?
」という知人の発言を受けて上京することになったそう。
そして周囲の手助けもありデビューが決定。
初めて音楽番組で楽曲を披露したところ問い合わせが殺到したとのこと。
しかし、幼くして売れてしまったことに関しての苦労を晃は語っている。
「小学生なのに深夜まで働くのも日常茶飯事。
通っていた小学校の先生が理解があって、先生公認で授業中は寝ていたね(笑)。
雑誌の取材なんかを入れると、1日に30本ぐらい仕事をこなす日も」と。
当時、晃が過労で倒れたことは国会でまで取り上げられ、児童福祉法の違反だということで問題にもなった。
さらに、当時変声期を迎えさせたくなかったマネージャーが晃に女性ホルモンの注射を打とうとしたことも有名なブラック話だ。
そのほかにもテレビ局に勝手に入ってきた女性に誘拐されそうになった話、億単位で稼いでいたはずなのに事務所にピンハネされ50万円しかもらっていなかった話などをしている。
一度会社員として就職し、現在はまた音楽活動をしている晃。
コロナの影響で現在はあまり活動できていないとのことだが、「コロナが収束したらソロで全国ツアーをするのが目標」と語っている。